本田先生

姉の家におしゃべりに行くと、
枕元のちゃぶ台の上に、新聞の切り抜きが覗いていた。

柔和な笑顔の写真が印象的なので手に取ると、
水俣病を告発する会代表の本田啓吉さんの訃報記事だった。

『義によって助太刀いたす』
と水俣病訴訟の先頭に立った闘士とはとても見えない。

はて。

本田啓吉さんは、高校時代の国語の先生で、
卒業後も友人と何度かお宅に伺い、
話をしたり阿蘇山でキャンプをしたことがあると、姉は懐かしそうに語り出した。
たいそう生徒に慕われた先生らしい。

本田先生を恩師と仰ぐ、別の先生から送られてきた、
若かりし頃のモノクロ写真を見ながら、

『本田先生を見舞った時、君達のことを話したら「オーオー」と頷かれていた』

と書かれたはがきを読んで熱いものがこみ上げてきて
姉の顔が見れなくなってしまった。

師の吐息と旧友達の中の自分を思い起こしながら、
姉は少しずつ元気になって最近は一人で散歩を始た。








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この記事へのコメント

尾方
2008年02月13日 12:53
25年程前、九重山で偶然出会い、宿をお世話になった。夜、酒を飲み救う会の本田先生とわかった。私も高校教師だったので、救う会の事をたずねると、「その気があれば誰でも出来ることですよ。」と言われた。

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