似顔絵

人が語る印象だけで似顔絵を描くのは並大抵な事ではない。

人相書きと言うのは昔からあり、

刑事さんが目撃者から聞き取りながら描く顔は、

写真の代わりと言えば書いた作者に失礼だが、

芸術作品とは言わないまでも、人様に買っていただける絵ではなく、

形の見えない顔を絵にするには不可能に近い。

エミリー・ブロンテの「嵐が丘」で主人公のキャサリンが

愛しいヒースクリフの顔を水彩で描くのシーンは

切ない乙女心を描いて忘れられない。

しかし、愛しい人を絵に描いて独占したい思いは痛いが、

人に見せるものではない。





一人息子の後を追うように逝ってしまった妻のことを、

何時までも思い出している訳ではないのですが、

何もかもやる気が失せ、仕事にも行っていません。

無聊を紛らすでもなく、いつもの公園でスケッチをしていました。

描き飽きた風景より、

目の前に戯れるすずめを描いていたら、

「うまいもんだねぇ。兄さん、あんたの絵は生きてるよ」

と声を掛けて来たのは、

地味な服を着て、真っ白い髪を頭の後ろで纏めた老婆でした。

記憶だけしか残っていない

“心の人”の似顔絵を描いて欲しいというのです。

その日から老婆の家に通い始めました。

不確かな記憶の口述を元に鉛筆画を走らせているうち、

質素な中にも堅実な料理や墓参を欠かさぬ過去の人への思いと、

死を見つめて生きるとはどういうものかを目の当たりにし、

悲しみも何もかもが消え失せ次第に老婆に心を許していく気分でした。

何百枚描いた頃でしょうか、

力んだ気持ちも抜けて描いた1枚が気に入ってくれてほっとした時、

老婆は逝ってしまいました。

その似顔絵は老婆がお寺に寄贈した鐘楼の絵柄になっていました。





クオリアの茂木健一郎が言っている

「つまり、若い女には価値があって、

年老いた女には価値がないということを固定して考えるのではなく、

それを超えることがいつ起こるかわからないということを認める。

突然、自分が若い小娘よりも80歳の老婆を

熱烈に愛する状況になるかもしれないということを許容するのが

フランス・ポストモダニズム、生命哲学なんです」





亡くなってみて気付いたのです。

あのお年寄りに恋をしていたのだろうか。

いや絵を描く人間に興味を持たれただけかもしれないし、

思いの人を語りながら弄ばれていたのかもしれない。

でも気持ちは暗くならないのです。

何枚も何枚も一人の似顔絵を描き続けた充実感があるから。






『似顔絵』東野光生



『絵は、画面に一病を病ませる』

だからいつも、どこかしらにかならず一点の破綻を残しておきたい。










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